2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 到津公熈(いとうづ・きみひろ) 「生き神様」と氏子から崇められていた大宮司・到津公誼が明治34年に没してから男爵と宮司職を継いだ。宇佐地方の教育に熱心で、大正8年からは、宇佐町長を2期つとめた。昭和11年死去。
2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 神宮少年団 昭和9年 昭和になって国民生活は急速に軍国化されていった。 宇佐町では子どもたちを中心に神宮少年団が結成された。 中央にいる軍人が、旧制宇佐中配属将校の黒岩少佐。その右隣は横山秀雄宮司。
2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 双葉山と小中学生たち 昭和13年11月 昭和13年11月8日に横綱昇進奉賽祭を終えた双葉山は、横山秀雄宮司邸に一泊。 翌日は、宇佐郡内小中学校の記念相撲大会に出席。そのときの記念写真。
2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 常岡寛治連隊長 一の鳥居前 昭和8年10月 昭和8年、常岡寛治大佐を連隊長とする大分47連隊が凱旋帰郷。 写真は、宇佐神宮参拝のあと宇佐町児童生徒らにあいさつする常岡連隊長。
2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 神武天皇聖蹟莵狭顕彰碑 『記紀』によると神武天皇東征の折、莵狭津彦と莵狭津媛の兄妹に大饗応をうけたとの記録がある。この話を聖蹟碑として建立。
2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 和気清麻麿公顕彰碑 大尾山神社 大正3年 大正3年、大尾山山頂の大尾山神社の下に郡民氏子たちにより建立された。 穂石は旧横山村稲積の霊山から掘り出し、台石は、旧北馬城村岩崎から引き出した。 穂石の書は海軍元帥・東郷平八郎。
2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 ほこたて神事 昭和8年 毎年10月20日と21日の2日間、ほこたての神事が行われる。 竹ぐみに紙を貼った飾りつけをして五穀豊穣を祝った。
2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 神輿を担ぐ人々 大正時代 大正6年11月18日、本殿の修理が終わって霊代(みたましろ)が下宮からお帰りになる時の、いわゆる遷座祭の写真といわれている。 写真は昼間だが、遷座祭は真夜中に行われるとされているので詳細は不明。
2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 神輿 昭和初年 宇佐神宮の神輿三基のうち、二の御殿と三の御殿の神輿。 応永年間、大内義弘が寄進したもの。
2018年12月25日 / 最終更新日時 : 2018年12月25日 宇佐市民図書館 ふるさとの思い出写真集宇佐神宮 夏越祭1 大正中期 7月31日頃宮に下った三殿は、8月2日、本殿にお帰りになる。 正面は高倉神社。白塀の中には宝物館と能舞台があった。