糸永茂昌 明治期

宇佐神宮の少宮司であり、皇典研究の第一人者であった皇学者。宇佐国学の系譜に連なる最後の人であり、御許山騒動の隊士たちや中津隊の面々とも交流があった。宇佐学館の講義に補せられ、700人に及ぶ後進を世に送り出した。大正8年74歳で亡くなる。