柳ヶ浦 豊中製糸

『柳ヶ浦郷土史』に、豊中製糸は「大正3年の記録によると、釜数百、繭買入生糸製造高は、県下2000石、県外3000石とあり、その販路は、横浜製糸会社を経て米国へ輸出」とある。県下有数の規模だったが、神栄製糸となったあと、戦争とともに消滅した。