「御許山騒動」隊士飯田義徳 明治初年
御許山騒動は、佐田秀を中心とする時期を逸した討幕運動であった。大政奉還(1867年)の翌年、明治元年となる1868年に脱藩長州兵らを率い、四日市陣屋、東本願寺別院等を襲い、御許山に立てこもったが、後ろ盾と見込んだ長州から騙まし討ち同然に切り捨てられ、偽官軍、逆賊とされた。写真は生き残りの一人、飯田嘉惣治義徳。
御許山騒動は、佐田秀を中心とする時期を逸した討幕運動であった。大政奉還(1867年)の翌年、明治元年となる1868年に脱藩長州兵らを率い、四日市陣屋、東本願寺別院等を襲い、御許山に立てこもったが、後ろ盾と見込んだ長州から騙まし討ち同然に切り捨てられ、偽官軍、逆賊とされた。写真は生き残りの一人、飯田嘉惣治義徳。