賀来飛霞 明治初期

幕末から明治を生きた、医師にして本草学者。飛霞は号であり、通称は睦之。佐田村出身の医師賀来有軒の三男として文化13年(1816年)豊後高田に生まれる。帆足万里に師事し医学、薬学、書を学んだ。維新後は四日市病院兼医学校の校長となり、明治11年には東京大学小石川植物園取締役掛に抜擢された。写実的な絵も多く残している。明治27年、79歳で没した。