到津公熈(いとうづ・きみひろ)

「生き神様」と氏子から崇められていた大宮司・到津公誼が明治34年に没してから男爵と宮司職を継いだ。宇佐地方の教育に熱心で、大正8年からは、宇佐町長を2期つとめた。昭和11年死去。