大井憲太郎 明治期

天保14年(1843年)宇佐郡高並村(院内町)に生まれる。幼名は高並彦六。大阪の薬種問屋に見込まれ養子となり、大井を名乗る。朝鮮独立運動に連座して下獄するかと思えば、出所後衆議院議員に当選するなど、ペンネームの馬城台二郎から「馬城将軍」と異名をとるほど激しい波乱万丈の生涯を送った。大正11年、不遇のうちに80歳で世を去った。